餃子が食べたい

メガネが最も必要な時、メガネは必ず手元にないのである

松坂大輔はむしろ半昭和の怪物だったのではないか

あのころ、松坂は確かにエースだった

私が野球を見始めたのが確か2005年とか

ぶっちゃけるとロッテファンとしてはにわかもいいところであり、今でこそそういう空気感も払しょくされつつあるが、当時としては許されざるロッテファンであり、もっと暗黒時代を知っているものでなければ真のロッテファンではない空気があった。

で、親父にピッチャーとして誰がすごいのかと聞いたら帰ってくるのが

「うーん、巨人の上原と西武の松坂かなあ」という答えだった。

(そもそもアンチ巨人でどっちかっていうと横浜ファンを名乗っていたのに三浦の名前が出てこないのは自分以上のにわかである。)

松坂大輔というエース

当時の西武は今の西武になる一世代前だったはず。

細川野田の競争があり、若い中島が松井稼頭央の後を継ぎ、おかわりは伸び悩み

和田が主軸を張る、そんなちょっと前の西武で中心にいたのは松坂大輔だった。

残念ながら当時のロッテのエース清水直行は圧倒的な投球というタイプでなかったので、松坂が出てくる日は結構身構えて、勝てねえなって思いながら見ていた。

(斉藤和巳のほうがもっと勝てねえなって見ていたけど)

キャリアハイの防御率は2.13で、まさしくリーグのエースだなあって見ていた。

入れ替わりに現れたダルビッシュ有

防御率2点台を安定して残せる、イニングも毎年180-200食う。

まさしくエースたる松坂大輔が海を渡るか渡らないかのころ、現れたのがダルビッシュ有だった。

ダルビッシュは毎年1点台を残し、コントロールも良い、速球も速い。

高校生くらいの私は、ダルビッシュこそがピッチャーの完成形であり、例えばイチローなんかと並び立つような稀代の逸材であり、防御率1点台を毎年残すような投手は先にも後にも表れないんじゃないかと思った。

松坂を取り巻く野球は昭和の残像だったのかなあって

ダルビッシュは洗練されていた。

当時まだ日本に定着していない、ツーシームとか投げるし落ちる球もチェンジアップも投げるし。

松坂は洗練はされていなかったんじゃないかって当時の記憶を掘り起こしながら思う。

松坂は基本スライダーと速球のコンビネーション投手だし、どこかでフラっと崩れる脆さを抱えていたように思う。

平成の野球が制球力重視の多彩な変化球を身に着ける野球なら、松坂は平成の投手になり切れていなかった

その意味だと、松坂は昭和の残像を引きずっていた「平成の怪物」だったのだろうと思う。これは松坂のせいじゃないけど、高卒3年目で240イニングっていうのも、平成後期の今だと絶対にやらないだろうし

藤浪晋太郎は甲子園で優勝した、がスーパースターにはなれなかった

松坂の甲子園優勝から13年、圧倒的投球で甲子園を制した男が現れた。

藤浪である。

大阪桐蔭は強かった。光星の誇る全国屈指の主軸、田村北條が藤浪のスライダーの前にあっさりひねられた

が、藤浪は「甲子園優勝投手」の枠にしか収まらなかったと思う。松坂は誰でも知っているようなスーパースターだっただろうけれど、藤浪はそうなれなかった

誰が悪いとかじゃなく、娯楽の多様化で甲子園のエースが日本のスターでない時代になったんだろう。

それが平成の甲子園なのだろう。

その意味でも、松坂は甲子園にいたころから、昭和の残像を背負った空気の中にいたように思えてならない。